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第9話 DD-151 投稿日: 2008/02/03 23:58:00
―Human Highway― File-1

―夢を見た。碌な事が起こらないときは、決まっていつも雨だった。雨の向こう、俯いて歩く人の列を眺めるたびに、心がなぜか蝕まれてゆく。そんな夢を見た。―

「アーリア、そこは教えた通りにやればいいんだ。逆に工夫はしない方がいい」
 何時ものように陰気臭い肉屋の裏手で、厚手のゴムエプロンをした双子は仲良く腸詰の作業をしていた。
「来るとは思っていたが、単独とは思わなかった。ボディガード対象はどうしたんだ?」
「家で瞑想中だ」
「いよいよ新生活か。未来のある若者というのは羨ましいものだな。アーリア、分量を増やさなくてもいい。増やしすぎると茹でたときに皮が破れやすくなるんだ。そう、工夫はほんの少しで良いんだ」
 相変わらずこの機械じみた男は、薬でおかしくなった妹を相手にままごとを続けている。愛情や労りがこの廃人への贖罪とでも思っているのだろう。一思いに終わらせるほうが幸せなこともあるという事実を、殆どの人は認めようとしない。
「答えらる範囲で答えよう。作業しながらで構わないならな」
「それでいいよ」
「ではどうぞ」
 手際よく腸詰がゲルマッハの手先から出来上がる。職人技にアーリアと二人で見惚れ、アーリアはエプロンに合挽き肉をばら撒く。
「アサヒは今まで、何も知らなかったのだろうな」
「ここ数年、彼女は用無しだったそうだ」
「チュウゴに飽きられてでもいたのか?」
「一言一句間違いなくその通りだよ。それにサクラがチュウゴに近付くようになって、余計に疎遠にされていたようだね」
 アーリアは詰め込み中の腸詰を取り落とす。慌てて拾い上げるとゲルマッハの顔色を窺った。ゲルマッハが無言で新しい腸を渡すと、アーリアは嬉しそうに新しい玩具で遊び始めた。
「よく今までアサヒに気づかれなかったものだな」
「恋は盲目と言うらしいよ。私にはよく理解できない感情だがね」
「妹と一緒に腸詰する感情に近いかもしれないね」
「それなら理解できるが、恋とは違う気がするね」
 二人で苦笑いを浮かべる。煙草に火をつけるとゲルマッハも手を差し出す。一本分けてやり火を貸した。ゲルマッハは深く一息吸い込む。アーリアは床に際限なく合挽き肉を零し続けている。
 チュウゴとサクラの密会に深く関わり、サクラが死んだ後撹乱工作を行ったのはゲルマッハだった。イン堂にチュウゴの死を伝えられたとき、詳しい話を聞きたければ尋ねるように言われた相手がこいつだ。
「お前はアサヒに何と言ったんだ?」
「特別なことは、何一つ言っていないつもりだ」
「チュウゴがサクラに寝取られたとでも言ったのだろう」
「いや、それは事実に反する。サクラが体を許したのは代償を求めてのことだ。それは歴とした契約行為だ。現に日之本家は飛鳥によって再興された。私はアサヒに、彼女が日之本さくらの身代わりでしかなかったと伝えただけだ」
 寝取られたよりもひどい言い様だ。たとえそれが事実としても、その言葉を聞いたアサヒの逆上ぶりと深い絶望が手にとるように解った。どうせこいつは、残酷な現実を自動応答のテレフォンサービス並に伝えたのだろう。
 そのメッセンジャーにゲルマッハを使うサクラも、知らないうちに随分な人間になっていたのだと思い知らされた。隙も見せず事実だけ叩きつけてさっさといなくなられては、その感情が何処に向かうのかは一目瞭然だ。
 チュウゴは死ぬ間際に、半分くらいは身に覚えの無い恨みつらみをぶつけられただろう。
 遺体の状況は無残の一言だったそうだ。病院に運び込まれたとき、全身の刺し傷は40ヶ所を超えていた。
 先に死体が発見されたのはアサヒの方だった。北京楼の車回しで、首をおかしな方向に捻じ曲げて倒れていた。屋上から飛び降りたらしい。チュウゴの死体はその後アサヒの部屋で発見された。
「チュウゴが死ねば、お前にはデメリットじゃないのか?」
「とんでもない。むしろ需要は増えるくらいさ。あそこの一族には、満遍なくパイプは張り巡らせたつもりだ」
「結局どう転んでもお前の利益になる訳か」
「むしろ今の方がよりメリットは大きかったよ。ただし、将来の予測に関しては少々不確定要素が増すのが問題といえば問題だった」
「言い方を変えるとそれはビジネスチャンスということか」
「その通りだ。だがこれからは商売敵が増えるだろうね。すでにフランソワーズがベトナと香に接触している」
 肉屋の裏でEU町の軍事利用が可能な民生品の横流しをアジア町でやっている。最近そんな噂がひっきりなしに聞こえてくる。この男なら、たぶん間違いなくやっているだろう。
「何か他に聞きたいことは?」
「いや、もう十分うんざりさせてもらった」
「そうか」
 ゲルマッハはそれなら興味無しとばかりに妹にかかりきりになる。興味が失せたのはお互い様なので、フィルターだけになった煙草を排水溝に投げ込み、その場を後にした。

 結局それはチュウゴが自分で播いた種だった。
 そしてアサヒは、そこにいて当たり前のようにチュウゴの周りを飛び回っていた。共依存に甘んじた二人は、自分達のした事が日之本家を消滅に追い込んだと自覚しながら、反省らしいことは何一つしなかった。
 家人からも元の従業員達からも蛇蝎の如く嫌われたアサヒは、もうチュウゴの傍以外に身の置き所はなかったのだろう。自業自得とはいえ、こいつも馬鹿な女だった。
 サクラはゆっくり静かにチュウゴに近付き、家屋敷の返還から事業の融資まで、広範な約束を取り付けていた。そして自分に何かあった時に、そんな情報をわざとリークさせてアサヒを焚きつける準備までしていた。
 もういい、もう十分だろう。
 結局だれも幸せにはなれなかった。そして、勝者と呼べる人間は何処にもいない。
 だれもが等分に負けを背負わされただけだった。
 ただその中で全ての元凶は間違いなくサクラだった。望む世界を手に入れたという意味では、彼女の勝ちなのかもしれない。

 でもそれは、彼女の望みを託された人間達にとっても苦い味しかしない勝ちだ。



 チュウゴの三人の息子と香は、今後の主導権をめぐって争う事になった。
 年若の息子たちには荷の重い話だろうが、優秀な禿鷹が総出でお守りをしてくれるだろうから、死ぬまで不自由することはないだろう。ただいつ死ぬかわからないという状況のみは、同情に価する。
 表向きこの四人は今こそ結束して家を守ろうと新聞記事にまで宣伝させていた。だが本人たちを含めて、誰も結束できるとは思っていない筈だ。
 四人がさすがに笑顔を振りまけずに神妙な顔で握手をする写真を早々にめくり、小説の続きを読むことにした。
 ジョニーウォーカーはクリスマスに戦争が終わった歌を歌っていたら、戦場神経症の元同僚に刺されたようだ。小説の打ち切りが近いのかもしれない。でもそれも今はどうでも良くなっていた。
 人ごみに押し出された参列客の女が、ハンドバッグの金具を新聞に引っ掛けて半分まで破る。文句を考えているうちに、女は意味の解らない事を喚き散らして立ち去った。
 音の割れた葬送行進曲が大音量で鳴り響き、しんみりする気持ちをすっかり吹き飛ばす。
 僧侶に囲まれたチュウゴの棺を先頭にして、葬列が通り過ぎてゆく。耳障りな泣き女の絶叫と、紙幣代わりの紙吹雪が通りを埋め尽くす。
 葬儀の列の順番で、既に鍔迫り合いがあったらしい。参列者は沢山いたが、泣き顔の人間はほとんどいなかった。皆事実とデマが入り混じった憶測や情報に流され、あちこちで小声で話し合っている。
 これから待ち受ける遺産相続争いは、敵味方の区別もない混沌としたものになるのだろう。既にタイワンは元の家屋敷を取り戻すべく裏工作を始めている。ロシアノビッチも息子の一人に接触したようだ。カンコは昨日、フェイに養父の申し出を買って出てきた。気が立っていたフェイは、銃弾の雨の中でカンコをダンスをさせていた。どいつもこいつもお盛んで何よりだ。
 顔ぶれはずいぶん変わったが、チュウゴ以外は昔によく似た形になりつつある。
 おかげで日之本家は嵐の中心にいながら驚くほど平穏だった。そしてこの計算ずくの奇妙な均衡を、サクラが死と引き換えに演出したことに少し背筋が寒くなった。
 その平穏を誰に与えたかったのか、それならはっきりしている。
 ただ当の本人は家庭教師も寄せ付けず、学校にも行かずひたすら部屋にこもって出てこない。

 ここ三日間はベッドの上の芋虫に食事と共に声をかけに行くのが習慣になっていた。
「フェイ、学校の入学手続きは終わっている」
「行きたくない」
「希望を聞いているんじゃない。お前は行かなくちゃいけないだろう」
「いやだ」
「この家に何もしない穀潰しを食わせていく余裕があるとは思えない。せめて学ぶ姿勢だけでも見せないと、お前は今以上に何もかも無くす事になるぞ、フェイ」
 返事はない。こんな説教なんて心底したくなかったが、その憎まれ役を敢えてするのが親子と言うものらしかった。こんな湿っぽくて報いのない役回りは、一生慣れそうもない気がする。
 このままでは埒が明かないので実力行使に出ることにした。
 毛布を引き剥がし、抱きかかえた枕を奪う。
 フェイは追い詰められた懇願するような目を一瞬浮かべた。それが癪に障る。
 気力を失い塞いでいる事よりも、周りから目を背け続けていることよりも、その怯んだ態度が何よりも許せなかった。右腕を掴んで捻り上げながらフェイをベッドから引き剥がす。
「イヤアァッ!」
 掴み上げた腕を力任せに振り切ると、フェイはまたベッドに潜り込もうとした。
「フェイ、ちゃんと聞くんだ」
「出てって!早く出てってよ!」
 これ以上は何を言っても無駄に思えた。
 部屋を出て廊下を抜け、縁側に座り込んで煙草に火をつけた。
 深く息を吸い込んで肺の奥まで紫煙を行き渡らせる。鬱屈とした思いとは裏腹に空は高く晴れて、初冬の空には鳶が悠然と飛んでいた。
 今更父親面なんて柄にも無いし、出来るとも思わなかった。
 だがあんな手紙を遺言で渡されてしまっては、やらない出来ないなんて意地を張り続けられない。けれどもその父親としての義務感に駆られての思いが強くなるほど、フェイは頑なになった。
「こういう時の出番はお前のものだろう、サクラ……」
 半分くらい灰になった煙草をぼうっと眺め続ける。紫煙で滲んだ視界の先、修理の中断した門の向こうにタクシーが止まるのが見えた。
 ハザードを点滅させた車から降りてきたのは日之本武士だった。
 中型のカートを引っ張って、迷いもなくこっちにやってくる。一番会いたくない場所で、一番会いたくない人間に今後付き合わされる羽目になったらしい。
「ラスカはどうした」
「別れたよ。『愛しているけど、ついていけません』ってね。よくある話だ」
「全くだ」
 ラスカはこの期に及んで怖気付いたらしい。あいつは最後の最後でいつも間違った選択をする。
 ラスカは昔から何も変わっていない。自分一人で生きることを強く望みながら、いつも籠の中から顔だけを外に突き出してその気になっているだけだ。
 これから先もきっとそういう生き方しか出来ない。そして夕闇のこの街で、闇に溶け込んでいつかきっと見えなくなってしまうのだろう。
「全く、随分と出遅れてしまったよ」
「叔父貴形無しだな」
「お蔭様で周りが消耗してくれたけどね」
「酷い奴だお前は。後から出てきていいとこ取りか」
「全員雁首揃えて死ぬ訳にはいかないだけさ」
「高みの見物決め込んだ人間の言い訳にしか聞こえないがね」
「何とでも言えばいい」
 たぶんサクラあたりから積極的に関わらず、いざというときのためにフェイの保護者になってやれとでも言い含められていたのだろう。サクラならあの父親を含めて、そういう手回しくらいしていても不思議じゃない。ただその現実への割り切りと、持って行き所のない感情とは別物だった。
「ゴミは随分片付けた。お前の部屋はフェイがふっ飛ばしたから、使える部屋で適当に寝てくれ」
「そうさせて貰うよ」
 その場のやりきれない気分を治めるには、喧嘩にならないように厄介払いをするのが精一杯だった。


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