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第2238.5話
マンセー名無しさん
投稿日: 2005/05/10(火) 01:47:52 ID:Dq8RXtKb
【くろがねのしろ】
真っ黒で、つやつやした自慢の毛並み。僕の足は、誰よりも大きい。僕の牙は、誰よりも鋭い。
僕の名前は「大和」という。
カイグンおじさんがいうことには、「僕は日ノ本家そのもの」という意味だそうだ。
良くはわからないけど、気分はいい。
僕はクレで生まれた。兄弟はいない。でも、それを寂しいと思ったことは無い。
僕は他のどの犬よりも、カイグンおじさんと一緒にいたから。
僕が長門じじから立派な旗を貰った、その日からずっと。
その旗かい?ほら、僕の背中をご覧よ。はは、背伸びしても見えないか。よっと……ほら、これさ。
カイグンおじさんの名前が縫われているだろ?
……え?傷?
……うん。このあいだ、ちょっとね。
ああ、大丈夫さ。もうすっかり平気だ。僕は誰よりも大きいだけじゃない。誰よりも、強いんだ。
カイグンおじさんがそう言っていた。だから、そうに決まっている。
そんなことよりも、この旗を見ておくれよ。立派な旗だろう?
きらきらしてて、凄く立派な旗だろう?
これは、僕が他のどの犬よりもカイグンおじさんに愛されている、そのしるしなんだ。
だから、僕は平気だ。どんなことがあっても、僕は一人ぼっちなんかじゃないから。
「……兄上、今なんと申されたか」
薄暗い部屋の中、ニッテイとカイグンは向かい合っていた。
といっても、ニッテイは斜めに構え、カイグンの鋭すぎる視線をかすかに受け流す。
ランプの灯りがゆらゆらと照らす、丸眼鏡の奥にある兄の双瞳。
その色を確かめるかのごとく、カイグンはニッテイを睨みつけた。
「大和は『沖縄の離れ』に向かわせる。これは決定事項だ」
だんっ!!と、ニッテイの机が大きく揺れた。
激情が形を成して弟よりにじみ出る。カイグンは、拳で兄の机を殴りつけていた。
すりむけ、血がにじんでいる。しかし、気にも留めない。
「今『沖縄の離れ』がどのような状況か!兄上が知らぬはずがあるまい!!!」
「勿論知っている」
「であるならば何故!!!」
「カイグンよ」
あくまで落ち着いた兄の声。いつだって兄上はそうだ。自分だけ、全部知っているつもりになっている。
自分だけ、全部正しいつもりでいる。
「大和は、日ノ本家の希望だ」
カイグンの瞳に明かりが灯った。
「兄上……一矢報いる妙案がおありか!?」
すっとニッテイがカイグンの正面を向いた。眼鏡の奥には、濁った暗黒だけが在る。
「違う。大和が存在する限り、日ノ本家は戦を止められぬ」
足元が揺らぐ。世界は斜めになる。右に、左に、斜めになる。
唇が言葉をつむがない。脳髄はただ、空虚だ。
「あに……ニッテイ……貴様、己が何を言っているのか解っているのか!!」
カイグンはニッテイの襟首をつかんで軽々と持ち上げた。
机越しに、とんでもない膂力だ。
兄上、もうこれ以上何も言わないでくれ。今なら俺も……。
「自分が何をしているのかわかっていないのは、貴様の方だカイグン」
凄まじい音を立てて、ニッテイが壁まで吹き飛んだ。壁にかけられた額縁が、一つ残らず地面に落ちる。
がしゃがしゃぱりんと騒がしい中で、しかしドアを開けるものはいなかった。
拳を握り締め、カイグンは肩を震わせる。怒りと、悲しみで。
「……俺は嫌だ、兄上。あいつを、死なせるために戦わせるなんて……俺は嫌だ」
ポツリと呟いたカイグンに、座り込んだままニッテイは冷たい声で言い放った。
「これは、決定だ」
兄を睨みつけようとしたカイグンの瞳は、あっという間に色を失った。
濁った暗黒の、その奥に深い悲しみを見てしまったから。
兄がわざと殴らせたことを、カイグンは悟った。悪者になり、代金を支払ったのはまたもや兄だったのだ。
いつも、そうだ。
「……あに……」
「言うな。俺は外道だ」
ふっと自嘲気味に、カイグンは笑った。
「俺は戦で死ぬ。しかし、兄上はそれで死ぬぞ」
ニッテイは笑わない。自分を生かしているものが、それをさせない。
「ああ、それが外道の末路だ。正道のためにも外道を行えば、血を流さねばなるまい」
外れた眼鏡をかけなおす。
「恥じることは無い。己の血であがなうことは、とうに決めている」
終わりを告げる鐘の音は、低く冷たく鳴り響く。
膝の辺りまで水につかっている。いい気持ちだ。
戦化粧をほどこして、僕はいつにもまして凛々しく、かっこいい。
きっと、世界で一番かっこいい。
カイグンおじさんは、お腹まで水に浸している。じっと、前を睨んでいる。僕も、おじさんの見ているものを見る。
凄い数の犬だ。大きいのも、小さいのも、たくさんいる。
みんな山ほど花火を積んでいる。どうあっても、僕を倒すつもりのようだ。
どいつもこいつも、妙に楽しそうだ。もう、僕に勝ったつもりでいるらしい。
でも、僕が一番強い。
「すまん」とおじさんが一言いったのが合図だったみたいに、皆が一斉に襲い掛かってきた。
時を待たず、仲間が応戦する。あっという間に、僕らはずぶぬれになる。
水に足を取られるような間抜けは、ただの一匹もいない。敵も、味方も、勇敢に戦う。つよく、はやく、勇敢に戦う。
「大和!!」
おじさんの叫び声が聞こえた瞬間だった。
わき腹に凄く熱いものがぶち当たって、僕は膝を付きそうになった。この間と同じだ。また、やられた。
でも、平気だ。
僕は立ち上がって、花火を投げつけたそいつを探した。
と、また別の奴が僕に向かって花火を投げつけようとしている。
僕は思いっきり歯をかみ鳴らした。背負った筒から、とびっきりの花火が飛び出す。
轟音と共に、花火は真っ直ぐそいつに向かっていった。
当たりはしなかったけど、僕の強さを思い知ったことだろう。
僕が一番強い。おじさんが、そう言ったから。
だから、僕が一番強い。
大和が、がっくりと力なく膝をつく。
何発も何発も食らい、つややかだった毛並みは既にぼろぼろだ。
カイグンは胸まで水につかり、必死になって大和を抱きかかえようとする。
自分の何倍も大きい、大和のことを。
ぐったりと力なく倒れこみそうになる、その巨大な愛しい大和のことを。
傷つき、力を失いながらもなお、大和の瞳は黒々と輝く。
熱く、激しく、太陽のように。
「もう!もういい!!お前はできるだけのことをした!!もう十分だ!!!」
おもわず口をついて出たそれは、カイグンの心の叫びだった。
粉飾しようの無い、心の底からの叫びだった。
「なぁ、帰ろう。日ノ本の家に。帰ろう!あの庭に!!」
おじさんが何かを叫んでいる。
もう、耳も良く聞こえない。
おじさんが、泣きながら何かを叫んでいる。
もう、目も良く見えない。
おじさん、泣かないで。
僕は、大丈夫だから。まだ、戦えるから。おじさんが、一番強いと言ったから。まだ、戦えるから。
僕の名前は大和。日ノ本家そのものだ。
良くはわからないけど、それは僕の誇りだ。
それが、いい。それだけで、いい。
おじさんの言葉は僕には良くわかるのに、僕の言葉はおじさんには伝わらない。
おじさん、知ってたかい?
おじさんは僕のこと「神様みたいだ」って言ってたけど、そうじゃないんだ。
僕はいつも神様をこの目で見ていたから、良く知っているんだ。
おじさんが、僕の神様だったんだ。
だから、良く知っているんだ。
僕の名前は大和。日ノ本家そのものだ。
それだけで、僕は十分だ。
大和の足に、力がこもる。
「……お前……」
ぐしょぐしょに濡れたカイグンは、呆然と大和を見上げた。ぐぐっと、山が動く。大和が、立ち上がる。
黒き巨神のその姿は、無敵に聳え立つくろがねのしろ。厳然と、雄々しく、立ち上がる。
「やま……」
ウヲヲヲヲオオオオオオオオオオォンン!!!
大和の遠吠えが、世界を震わせる。
そこに存在した証明を、広く大空に刻む。
エピローグ
一面の草原に、風が吹く。
そよそよと、風が吹く。
耳元をそよぐ風が、妙にくすぐったい。
大和は小さなくしゃみをした。
「はは、風邪でも引いたのか?大和」
ずっと待ち望んでいた声が、風に乗って聞こえてきた。
わざとのんびり振り返ると、カイグンおじさんがニコニコ笑っていた。
「お前、こんなところで待っていたのか。俺が来るまで、ずっと待っていたのか」
「うん。待っていたんだ。おじさんに会いたくて、ずっと待っていたんだ」
涙が出そうになるけど、僕はかろうじてこらえた。
「ああ、随分待たせてしまったようだな。さぁ、行こうか」
「待って、おじさん」
僕の声に、おじさんは不思議そうな顔をして振り返った。
「どうした。時間ならたっぷりとあるだろうに」
「違うんだ。ずっと言いたかったことがあるんだ。いつも言っていたのに、おじさんには聞こえていなかったことなんだ」
おじさんは、足元に生えていたシロツメクサを一本引き抜いた。
まじまじと、それを見つめる。
「『ありがとう』って、いつも言っていたんだ。おじさんには聞こえていなかったけど、いつも言っていたんだ」
のんびりと、おじさんはシロツメクサを僕の耳の上に差した。
真っ黒な僕の頭に、白いぶちみたいに花が座る。
「聞こえていたさ、いつも」
そういって、おじさんはにっこりと微笑んだ。
僕は、自分が愚かだったことにやっと気がついた。
解説
司馬遼々
投稿日: 2005/05/10(火) 02:06:17 ID:Dq8RXtKb
後書きです。
戦艦大和は、日本人にとっては特別ですね。
最強の戦艦。不遇の戦艦。悲劇の戦艦。
どうにも陳腐な表現になってしまいます。
結局、大和というのは良いも悪いも無く、「日本そのもの」だったのではないでしょうか。
大和の歴史を概観するに、僕にはそんな風に思えました。
蛇足
・ニホンちゃんでは、犬は戦闘機を表す記号ですが、ここでは戦艦として使わせていただきました。
蛇足2
・物事の見方には色々ありますし、そもそも一人の人間にも色々な面があります。
組織や国にいたっては、なおのことです。
ニホンちゃん二千数百話はそれを許容すると思うのですが、いかがでしょうか。
蛇足3
・コンパクトに纏めたつもりだったんだけどなぁ……。
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